「ないものはない」の話しを読んで、私と同年代のHさんからメールをいただきました。


私達は、 昭和40年代が「子供の頃」でした。

「ない」ものはたくさんありました。

でも、楽しい事、幸せな事がたくさんありました。

昭和40年代の暮しの事、そして今、50代となって感じる「ない」事への正直な気持ちをお話しします。

Hさんの了解を得て、メールを公開します。



コラム ないものはない(後)




[ Hさん ]


こんにちは、お久しぶりです。


「ないものはない」で思い出しました。


子供のころを思い出して、よく思うのは・・

あのころの私の生活には

「足りないものはなにもない」

だったな、ということです。


昭和40年前後、
ものごころついたかつかないかのころ
池袋に近い、6帖一間のアパートに、両親と弟と4人で住んでいました。
トイレは廊下の端にある共同、お風呂はなし。毎日銭湯に行きました。
6帖の部屋に入れられるものは限られています。
母はとても工夫して清潔にして暮らしていたと思います。


私と弟は肘当てや膝当てのアップリケを縫い付けた服を 着せられていました。冬は母が編んだ毛糸の帽子と手袋をしていました。
生まれたとき、白黒テレビはもうありました。
冷蔵庫はあとからやってきました。製氷皿はあるけど、アイスクリームは保存できない冷蔵庫。
夏は「ワタナベ」(だったかな?)の粉ジュースに氷を浮かべて カラカラ音をさせて飲むのが嬉しかった。
小さくてまるごとスイカは入らないから、アパートの庭の井戸でたらいに入れて冷やしました。
少し大きくなってギコギコ井戸の水を出せるようになった時はうれしかった。


洗濯機も途中からきました。
側面の 手回しローラーに洗濯物を挟んで絞る洗濯機です。
のし烏賊(いか)みたいに洗濯物がペッちゃんこになりました。あんなシワシワにしちゃってよかったのかな?


黒電話は小学校に入学したときに来ました。学校の緊急連絡網に必要だから、と。
でもそれまでは隣に住んでる大家さんの家の電話を取り次いでもらってました。

クリスマスプレゼントはあらかじめ母がどこかに隠しているに違いないとにらんで、母が留守のときに探し回りました。
収納場所は1間の押し入れと母の嫁入り道具のタンスしかない・・6帖一間なのに見つかりませんでした!


洗濯機や電話が来たときはびっくり大喜 びしたけど、そんなもの来る前から わたしはしあわせでした。
両親がいて、いつも守られている安心感。
それがすべてでした。
足りないものは、なにもありませんでした。


ご指摘のように、今の私は、やはり「ない」事、「なくなる」ことをとても恐れています。
私が抱くすべての「不安」はそこにつながっているのかな? と思いました。





[ 私 ]


Hさん

お久しぶりです。メールを読んで、胸がキュンとしました。

懐かしく、温かい 子供の頃の情景を思い出しました。


Hさんと同年代の私は・・・
暮らしのディテールが、全部わかります(笑)


あの頃・・・幸せな事、沢山ありましたね。
家にしても服にしてもボロだったけど、別に、それでもよかった。子供だったからだろうけど。
でもやっぱり、当時の大人は「ない」ことを恐れていたのでしょうか?


ありあまる物があるのに、「もっともっと!」と物があふれてる今と、たいした物がなかった昭和40年代頃を比べて
どっちが明るかったかと言えば・・・
どっちが”純粋に”幸せを感じられたかと言えば・・・
もちろん、昭和40年代頃。


ほんの50年で世界は変わってしまうんですね。(実際はもっと前からですが。。)


私達は「ない」事を恐れるよう刷り込まれた早い世代なのでしょう。。

よい成績、よい学校、よい会社、、、、
マイホーム、マイカー、家族サービス、
昇進、そして、定年、、、、
よいおじいちゃん、よいおばあちゃんであり
よい臨終



まるで、工場で生産されるお菓子のようです。


人生とはそうゆうものであると思っていました。
「それが人生だ」と思っていた『絵』は、もうくすんで、壁からはずれかかっています。


「なくなる」と思うと・・・ 怖いですよね。

わかります。


その怖さに、、、
私は一度 壊れかかりました。
そお遠くはない過去の話しです。


でも、いろいろあって
「ない」事におびえ、勝手に自分の未来を
「小さくて 少ない」もの
にしていた事に気が付きました。


「自分の人生は、人から決められる事じゃない」
と思えるようになりました。


どうあろうと、自分が決め、自分が主役で生きていくと 決めました。

人生、出直し な感じです。(笑)





[ Hさん ]


私は、小学校3年生まで暮らしたアパートでの生活の様子をわりあい、よくおぼえています。


2歳下の弟はほとんど覚えていません。記憶が定着しない年齢のうちに引っ越しているからでしょうか。
「洗濯機の脱水ってローラーに挟んで手で取っ手をまわすんだったよね?シーツとか大きなものを挟むと動かなくなっちゃって!」
なんて言っても、覚えてないのです。
戦後の貧しさをまだ少し引き ずっていた最後の時代でしたね。


それが小学校の高学年になるころにはすっかり変わりました。
いつのまにかテレビはカラーになり、チャンネルはバチバチと音をさせてまわすダイヤル式?でなくて、テレビ本体に付け外しできるリモコンのボタン式になったし、、
冷蔵庫はツードアになってアイスは食べ放題になり、そして、とうとう”うちにも「クーラー」がやってきた!”の時代がくるんですもの。

それらは素敵なモノ、素敵なコトだった、と思う。
でも、子供時代の中でもあのアパート時代が、それ以後の時代よりも、私にとっては満たされて幸福な記憶なのでしょう。


まあ、これは個人的な感傷です。
単純に「あのころはよかった」的な言い方はあまりしたくないですから。
どんな時代でも、よいこともあったし、たぶん残念ながらよくないこともたくさんあったに違いないから。





[ 私 ]


ローラー式の洗濯機、私も覚えています。考えもしないで、ローラーの間に洗濯物入れて回し出したら、洗濯物の厚みがどんどん増え、ローラーが動かなくなりました。
「あれがあればいいのにな」って思う事、たまにありますよ(笑)


昭和40年代も、それ以前も、今を基準にすれば、物はなかったけれど、それで暮らせたし、少ない物で『工夫して』いて、それが『当然』で、そして『片付いて』いましたよね。
子供だった当時、そんな事を意識してないので、美化かも知れないけど、、暮らしも心も身軽だったような気がします。





[ Hさん ]


そうそう、あのころ部屋はいつもちゃんと『片付いて』ました。


6帖に押し入れ一間と、押し入れの幅と同じ「お勝手」(=台所)、そこに、タンス2竿、鏡台、食器棚、テレビ、学習机、冷蔵庫、あと、正方形の座卓。
家具は今のものと比べるとだいぶコンパクトサイズのものでしたけど・・。
でもね、6帖ですよ?
どうやって収まってたのか、不思議。


それなのに、家具以外には床置きで何かモノが放置されていたことはなかったし、いつもきちんと片付いていました。


夜は、座卓をタンスに立てかけて布団2枚しいて、親子4人で寝てました。母は毎晩、布団を敷く前に畳を拭いていました。一日もさぼることなく。


今はその何倍ものスペースに住んでいるのに、私の家も、実家もなんだかゴタゴタしています。なにがどうなって、こんなことになっているのか・・。一所懸命、断捨離しようとすればするほど、わからなくなってきます。





[ 私 ]


本当に、「少ない物」で暮らせるんですよね。
今、同じ様にしろと言われても難しいですが、それにしても、いかに「持ち過ぎ」か・・・。


母達の時代は、皆働き者だったんですね。そりゃあ、不満もあっただろけど、「片付ける」とか「きれにする」「整える」というのは『当たり前』だったのでしょうね。


うちは、祖母もいっしょでしたが、今思い返せば、よく働いてた気がします。




以上でHさんとの話しは終わりです。
いかがだったでしょうか。。

だれでもそうだろうけど、昔を思い出すと「あの頃はよかった」と思う人は多いです。
たぶんに美化してる部分は大きいとは思っていますが、昭和30年代40年代というのは、まだ国が貧しかったけれど、みんなで力を合わせ、昨日より今日・・今日より明日・・が良くなると希望に満ちていた時代だったと思います。
がんばった分、きっと良くなる
そして、実際にどんどん社会がかわり、豊かになって行った時代です。
でも、それとともに、無くしてしまったものもたくさんあったのかもしれません。

Hさんの話しの中にあったように、昭和40年代のはじめ頃は、まだ戦後の貧しさが、薄れつつも残っていた時代なのかもしれません。

私達は子供だったから、そんな事を感じる事もありませんでしたが。。

今当たり前にある『便利さ』『快適さ』は、当時はほとんどありませんでした。
服は、繕って大切に着ていましたし、「おさがり」は当たり前でした。長男だった私は、新しい服を買ってもらってうれしかったとともに、弟達にたいして、ちょっと”うしろめたい”気持ちもあったような思いがあります。

夏休み、少しでも風のある場所、少しでも床が冷たい場所を求め、ゴロゴロ移動していました。暑くてとても宿題をやる気になんてなれません。

桶に入れて冷やしたスイカがとても楽しみでした。クーラー(エアコンじゃない、冷房専用)が付いた時も、その涼しさをもたらしたくれた喜びとともに、外に流れる冷たい水が、キンキンにスイカを冷やす事ができてうれしかったです。

今と比べれば『不便な事』『ダサい事』たくさんありました。でも、人は一生懸命工夫して、喜びを得ていました。「少ないもの」でも、いろんな事ができて、楽しく暮せていました。そして、喜んでくれる人が回りにいました。

家の中のもの全てが簡素な物だったけど、部屋は片付いていて掃除もされていて、ボロ屋でも気持ちよい家でした。(母達のおかげですが。。)


美化してるとはいえ、よい時代だったと思います。今、同じようにはできないけど、『多くの物』がなくても、悲しむ事でもないし、悲観する事でもない、と思います。

あなたにもできますよ

そんな事を言うつもりはありません。
ただ、今 私達は、大量の物と情報に振り回され、あせらされ、便利さの追求が、人として本来持っている 想像力や発想力、寛大さ、そして感動を、退化させているように思えるのです。


ここまで読んでくださったあなたが、ちょっと「今の自分」を考えるきっかけになったら、うれしいです。




”考えている事・見ているもの”が「何か違う」と、ひとりで悩み続けないで、よかったら、家の話しをしませんか。

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